2010年1月12日火曜日

2010年山水人日記 「冬の朽木の味噌作り」 by.misato

 山水人の母屋で味噌作りがあるという連絡網が入り、
私たちは京都で待ち合わせて、車に乗って滋賀県の朽木へと向かう事になった。
1月初旬。
まだ雪は少ないらしく、昼間なら普通のタイヤでも上がれるらしい。
「本当に大丈夫かな?」と運転手の青ちゃんが少し不安そうに言う。

稲刈り以来の、久しぶりの朽木。

朽木への美しい道は、明らかにいつもとは違う景色で、
雪が少しずつ増えて、いつの間にか辺りは真っ白の世界になった。
人の少ない朽木の冬。
こんなにも静かな冬は、
京都にずっと住んでいる私にとってはとても新鮮だ。
積雪はまだ50cm程だろうか、車は無事に到着した。

誰も触れていない真っ白な雪の中で、
キクちゃんと大喜びで雪だるまを作った。

雪の中に佇む山水人の母屋の入り口を開けて、
私は思わず「ただいま」と言う。
雪が深い朽木の冬は家からあまり外に出る事はない。
だからその分、ここまるで田舎のおばあちゃんの家のように暖かい。
今まで味わった事のない、懐かしさ。

去年の山水人でまつり作りのお手伝いをしていたら、
1ヶ月程のこの母屋での生活によって、
この大きな家は、しっかりとこの大地に根を張って、
山水人を通して出会った人達と共に、
いつでも私を優しく包み込んでくれるのだった。
味噌作りの為の大豆をコトコトと煮る囲炉裏の火は、
雪で冷えた体をじんわりと芯から暖めてくれる。
「火はやっぱりいいな。」とまた私は実感する。

「今日は、去年獲れた新米を炊いて、去年仕込んだお味噌でみそ汁にしよう。」と
ゆうじ君が言った。
田植えから、稲刈りまでみんなでやったあの黄金色のお米が、
はじめて大きな釜で炊かれる事になった。
おかずはゆうじくんの作るヒジキと大豆の煮物。私の大好物だ。
去年の今頃に仕込んだお味噌は、ほんのりと甘くまろやかで繊細な味がした。

机に並べられた食事から湯気がもくもくと上がって、
私たちは一斉にいただきますと言う。
家の外は冷えた雪に囲まれて、
そして私たちは木で出来た家の中で、みんなで火にあたりながら、
とてもシンプルな食事をする。

しかし、なんてご馳走なんだろう。

「贅沢だね」なんて思わず言うが、これは昔からのあたりまえの食事だ。
街で生活していると、日頃から簡単に食べられるご飯を食べすぎていて、
その全ての食べ物が出来るまでの手間ひまや愛情をすっかり忘れてしまっていたり、
その事について全く考えなかったりする。
こうやってお米作りをしたり、畑を手伝ったり、
そして味噌を作ったりする事。
そうやって自分たちの愛情をたっぷり籠めた食材でつくった料理が、
こんなにも美味しいなんて、私はこの山水人で新ためて知るのだった。
全てはとてもシンプルな事で、そしてとても大切な事だと感じる。

こうやって、慣れない私たちをナビゲートしてくれる、
生杉の住人の方々に、山水人の先駆者に、この美しい土地に新ためて感謝する。

山水人
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山水人2010「味噌作り」Slide show
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157623055410695/show/

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また春が来て、田植えの準備が始まる。
山水人にある田んぼはまだ沢山使われていなくて、
私たちはいつかこの田んぼが黄金の稲や沢山の畑でいっぱいになればいいなと思う。
子供達が生き生きと生活し、自然と共に生きる生活。
山水人のまつりの芯も、そこにあるのだ。
そしてそれを他の誰でもなく、気になるみんなで関わって、
みんなで一歩一歩、歩んでいく道。
山水人はそんな道を作る。誰でも通れる大きな道。


私たちはいつも一緒に歩む手伝いを募集しています。

写真と文:misato(http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono/





2010年1月5日火曜日

山水人日記「虹の架け橋をわたって」 by.キク

いきなり長文のメッセージで申し訳ございませんが、
ネット上での最初のあいさつとして受け取って下されば幸いです。

 冬の山水人(やまうと)村、朽木 生杉というところに来ています。 琵琶湖の水源ともなる日本で最も低い標高の地に植生するブナの原生林を背後にひかえた滋賀の最も山深い山中にある集落です。9月には音楽イベントを中心としたお祭りが開催され、のべ1000人ちかくの人が訪れ賑わいます。

 雪降るも、霧たちこめるも、冬の沈黙が奏でる音となってわたしの心にしみいります。この冬の静けさは夏の宴、祭りのエピローグなのかプロローグなのか、そう思って母屋の縁側から外を眺めれば、白い雪景色のスクリーンに、踊る彼女や歌う彼らの幻影がぼんやりと無声映画のように映し出されるのです。

 歓びに満ちて歌い踊る人々が愛しくて目を閉じれば、彼女や彼らは虹色のシャボン玉のようなバルーンに包まれて、天空へと上昇し消え行くのです。そのうちに次々と昇っていくバルーンの中に、わたしが8年の旅ので出会ってきた世界中の人々や風景があるのを見つけます。

 チベットのカイラス山のふもとを馬で疾走する遊牧民の男や、ネパールヒマラヤの山中で神の名を唱えチュラム(パイプ)を吸うサドゥ(聖者)、夢見心地で踊るバリの幼い踊り子、オーストラリアの赤い大地とカンガルー、真っ赤な朝日を受けて母なるガンジス川で沐浴する人々、アマゾンのジャングルでギターを奏で歌うシャーマン、タイのビーチでひたすら遊ぶレインボーファミリー。

 次々と浮かんでは天空へと消えていくバルーンを追ううちに、わたしは天空へと立ち上る虹の架け橋を見つけ、おそるおそるその上を歩き出します。

 やがて地上を遠くはなれ、わたしは四方八方に浮かぶ虹色のバルーンとともに天空にいます。そして、バルーンの中の光景は8年の旅の記憶の断片に限っているのではないと気づくわたし。中にはわたしが見たこともない人や風景もあれば、幼いころの家で兄妹と戯れる自分だったりする。バルーンの中の光景はどれもキラキラと輝いている。あんなに悲しい思いで見つめた死体となった母の姿も、わたしのことを罵り傷つけた人の姿も、みんなキラキラと輝いている。

 涙が溢れ出る。とめどなく泉のように。あふれ出た涙も虹色の玉となって浮遊していく。

 涙の玉の中には 「ごめんなさい」と「ありがとう」。


 わたしは無限のアーチのような虹色の架け橋をさらに歩んでいきます。もうおそれはありません。
そして、空をつきぬけ宇宙のような虚空の中、わたしはひとり。もうバルーンも涙もありません。

 わたしはひとり。わたしはひとり安らいでいます。


  「えっ!?」




 わたしはいません。

 わたしはいないのです。




 「ドサッ」と母屋の屋根の雪が落ちました。
 目を開ければ、ほとんどモノトーンの霧のたちこめる雪をかぶった森が静けさの中にありました。

 わたしは縁側にひとりすわって今年の5月に帰国してからの日本の旅をふりかえり、思いをめぐらせました。

 北は北海道釧路の先、利尻島から、南は鹿児島の先、屋久島まで。文字通りの日本縦断の旅でした。山、川、海の自然がバランスよくおさまっていて精霊たちが語りかけてくるような場面にわたしは何度も魅せられました。



 「このくには なんて うつくしいのだろう」

 長い間、海外をふらついていたわたしは新鮮な感動をもって何度となく感嘆の息とともにこの言葉をはいたのでした。また、こころの奥でじんわりとした懐かしさを感じ、自分のルーツがやはりこのくににあることを知りました。

 アメリカ大陸の旅を通して印象的にわたしの心に強くのこったのは、先住民の目でした。彼らの瞳は揺らぐことなく、じっと大切なものを見すえていました。彼らは魂の部分で自分たちのルーツが、彼らが暮らすその地にあることとその意味を深く理解していて、安心と自信をもち、地に足をつけて生きていました。

 放浪者だったわたしは、そんな彼らに強い憧れを抱きました。彼らが見ている大切なものとはなんなのでしょうか。それは「生命の本質」なのでしょうか。わたしもそれを見たい、それを理解して生きていきたいと思ったのでした。

 そんな思いを抱いて帰国しはじめた日本の旅でルーツを感じられたことは大きな収穫でした。また、この旅は海外で出会った大切な友人たちとの再会も含め、すばらしい出会いの連続でした。それはずっと以前から用意されていた贈り物のようで、すっとわたしの心に渡されました。わたしはそれぞれの人と手をつなぎこころをつないだのでした。

 いま、わたしはつながれた手、心は「根っこ」なのだと実感します。この縁側の前にひろがる森の雪の下、地中世界にひろがる根は、表層に見える森の植物たちの礎でしょう。

 わたしはこのくにに自分の「ルーツ」があることを知り、さらなる「ルーツ=根」を張りはじめたのです。

 年が明けたら、屋久島で小さな庵をもって暮らし始めるつもりです。
 バックパックひとつのヤドカリのような8年間に区切りをつけて、自分の巣を持つ生活は新たな挑戦と発見、そして学びの日々になるだろうとわくわくしています。

 わたしが地球のどこかでつないできた「こころの根」と、これからこのくにで育んでいく「こころの根」がつながり強い礎となって私が経験する現象世界に美と調和をうみだすこと、それを多くの人々、できうるならばすべての存在と共有できることを祈っています。

 最後に昨年12月23日亡くなった日本のオルタナティブ、カウンターカルチャーの先駆者であった敬愛する ナナオ サカキ の詩をクリスマスプレゼントとして贈らせてください。




   『 ラブレター 』


 半径 1mの円があれば
 人は 座り 祈り 歌うよ

 半径 10mの小屋があれば
 雨のどか 夢まどか

 半径 100mの平地があれば
 人は 稲を植え 山羊を飼うよ

 半径 1kmの谷があれば
 薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

 半径 100km
 みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

 半径 1000km
 夏には歩く サンゴの海
 冬は 流氷のオホーツク

 半径 1万km
 地球のどこかを 歩いているよ

 半径 10万km
 流星の海を 泳いでいるよ

 半径 100万km
 菜の花や 月は東に 日は西に

 半径 100億km
 太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

 半径 1万光年
 銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

 半径 100万光年
 アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

 半径 100億光年
 時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ


     そこで また
     
     人は 座り 祈り 歌うよ

     人は 座り 祈り 歌うよ





合掌