私たちは京都で待ち合わせて、車に乗って滋賀県の朽木へと向かう事になった。
1月初旬。
まだ雪は少ないらしく、昼間なら普通のタイヤでも上がれるらしい。
「本当に大丈夫かな?」と運転手の青ちゃんが少し不安そうに言う。
稲刈り以来の、久しぶりの朽木。
朽木への美しい道は、明らかにいつもとは違う景色で、
雪が少しずつ増えて、いつの間にか辺りは真っ白の世界になった。
人の少ない朽木の冬。
こんなにも静かな冬は、
京都にずっと住んでいる私にとってはとても新鮮だ。
積雪はまだ50cm程だろうか、車は無事に到着した。
誰も触れていない真っ白な雪の中で、
キクちゃんと大喜びで雪だるまを作った。
雪の中に佇む山水人の母屋の入り口を開けて、
私は思わず「ただいま」と言う。
雪が深い朽木の冬は家からあまり外に出る事はない。
だからその分、ここまるで田舎のおばあちゃんの家のように暖かい。
今まで味わった事のない、懐かしさ。
去年の山水人でまつり作りのお手伝いをしていたら、
1ヶ月程のこの母屋での生活によって、
この大きな家は、しっかりとこの大地に根を張って、
山水人を通して出会った人達と共に、
いつでも私を優しく包み込んでくれるのだった。
味噌作りの為の大豆をコトコトと煮る囲炉裏の火は、
雪で冷えた体をじんわりと芯から暖めてくれる。
「火はやっぱりいいな。」とまた私は実感する。
「今日は、去年獲れた新米を炊いて、去年仕込んだお味噌でみそ汁にしよう。」と
ゆうじ君が言った。
田植えから、稲刈りまでみんなでやったあの黄金色のお米が、
はじめて大きな釜で炊かれる事になった。
おかずはゆうじくんの作るヒジキと大豆の煮物。私の大好物だ。
去年の今頃に仕込んだお味噌は、ほんのりと甘くまろやかで繊細な味がした。
机に並べられた食事から湯気がもくもくと上がって、
私たちは一斉にいただきますと言う。
家の外は冷えた雪に囲まれて、
そして私たちは木で出来た家の中で、みんなで火にあたりながら、
とてもシンプルな食事をする。
しかし、なんてご馳走なんだろう。
「贅沢だね」なんて思わず言うが、これは昔からのあたりまえの食事だ。
街で生活していると、日頃から簡単に食べられるご飯を食べすぎていて、
その全ての食べ物が出来るまでの手間ひまや愛情をすっかり忘れてしまっていたり、
その事について全く考えなかったりする。
こうやってお米作りをしたり、畑を手伝ったり、
そして味噌を作ったりする事。
そうやって自分たちの愛情をたっぷり籠めた食材でつくった料理が、
こんなにも美味しいなんて、私はこの山水人で新ためて知るのだった。
全てはとてもシンプルな事で、そしてとても大切な事だと感じる。
こうやって、慣れない私たちをナビゲートしてくれる、
生杉の住人の方々に、山水人の先駆者に、この美しい土地に新ためて感謝する。
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山水人2010「味噌作り」Slide show
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157623055410695/show/
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また春が来て、田植えの準備が始まる。
山水人にある田んぼはまだ沢山使われていなくて、
私たちはいつかこの田んぼが黄金の稲や沢山の畑でいっぱいになればいいなと思う。
子供達が生き生きと生活し、自然と共に生きる生活。
山水人のまつりの芯も、そこにあるのだ。
そしてそれを他の誰でもなく、気になるみんなで関わって、
みんなで一歩一歩、歩んでいく道。
山水人はそんな道を作る。誰でも通れる大きな道。
私たちはいつも一緒に歩む手伝いを募集しています。
写真と文:misato(http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono/)