2010年1月5日火曜日

山水人日記「虹の架け橋をわたって」 by.キク

いきなり長文のメッセージで申し訳ございませんが、
ネット上での最初のあいさつとして受け取って下されば幸いです。

 冬の山水人(やまうと)村、朽木 生杉というところに来ています。 琵琶湖の水源ともなる日本で最も低い標高の地に植生するブナの原生林を背後にひかえた滋賀の最も山深い山中にある集落です。9月には音楽イベントを中心としたお祭りが開催され、のべ1000人ちかくの人が訪れ賑わいます。

 雪降るも、霧たちこめるも、冬の沈黙が奏でる音となってわたしの心にしみいります。この冬の静けさは夏の宴、祭りのエピローグなのかプロローグなのか、そう思って母屋の縁側から外を眺めれば、白い雪景色のスクリーンに、踊る彼女や歌う彼らの幻影がぼんやりと無声映画のように映し出されるのです。

 歓びに満ちて歌い踊る人々が愛しくて目を閉じれば、彼女や彼らは虹色のシャボン玉のようなバルーンに包まれて、天空へと上昇し消え行くのです。そのうちに次々と昇っていくバルーンの中に、わたしが8年の旅ので出会ってきた世界中の人々や風景があるのを見つけます。

 チベットのカイラス山のふもとを馬で疾走する遊牧民の男や、ネパールヒマラヤの山中で神の名を唱えチュラム(パイプ)を吸うサドゥ(聖者)、夢見心地で踊るバリの幼い踊り子、オーストラリアの赤い大地とカンガルー、真っ赤な朝日を受けて母なるガンジス川で沐浴する人々、アマゾンのジャングルでギターを奏で歌うシャーマン、タイのビーチでひたすら遊ぶレインボーファミリー。

 次々と浮かんでは天空へと消えていくバルーンを追ううちに、わたしは天空へと立ち上る虹の架け橋を見つけ、おそるおそるその上を歩き出します。

 やがて地上を遠くはなれ、わたしは四方八方に浮かぶ虹色のバルーンとともに天空にいます。そして、バルーンの中の光景は8年の旅の記憶の断片に限っているのではないと気づくわたし。中にはわたしが見たこともない人や風景もあれば、幼いころの家で兄妹と戯れる自分だったりする。バルーンの中の光景はどれもキラキラと輝いている。あんなに悲しい思いで見つめた死体となった母の姿も、わたしのことを罵り傷つけた人の姿も、みんなキラキラと輝いている。

 涙が溢れ出る。とめどなく泉のように。あふれ出た涙も虹色の玉となって浮遊していく。

 涙の玉の中には 「ごめんなさい」と「ありがとう」。


 わたしは無限のアーチのような虹色の架け橋をさらに歩んでいきます。もうおそれはありません。
そして、空をつきぬけ宇宙のような虚空の中、わたしはひとり。もうバルーンも涙もありません。

 わたしはひとり。わたしはひとり安らいでいます。


  「えっ!?」




 わたしはいません。

 わたしはいないのです。




 「ドサッ」と母屋の屋根の雪が落ちました。
 目を開ければ、ほとんどモノトーンの霧のたちこめる雪をかぶった森が静けさの中にありました。

 わたしは縁側にひとりすわって今年の5月に帰国してからの日本の旅をふりかえり、思いをめぐらせました。

 北は北海道釧路の先、利尻島から、南は鹿児島の先、屋久島まで。文字通りの日本縦断の旅でした。山、川、海の自然がバランスよくおさまっていて精霊たちが語りかけてくるような場面にわたしは何度も魅せられました。



 「このくには なんて うつくしいのだろう」

 長い間、海外をふらついていたわたしは新鮮な感動をもって何度となく感嘆の息とともにこの言葉をはいたのでした。また、こころの奥でじんわりとした懐かしさを感じ、自分のルーツがやはりこのくににあることを知りました。

 アメリカ大陸の旅を通して印象的にわたしの心に強くのこったのは、先住民の目でした。彼らの瞳は揺らぐことなく、じっと大切なものを見すえていました。彼らは魂の部分で自分たちのルーツが、彼らが暮らすその地にあることとその意味を深く理解していて、安心と自信をもち、地に足をつけて生きていました。

 放浪者だったわたしは、そんな彼らに強い憧れを抱きました。彼らが見ている大切なものとはなんなのでしょうか。それは「生命の本質」なのでしょうか。わたしもそれを見たい、それを理解して生きていきたいと思ったのでした。

 そんな思いを抱いて帰国しはじめた日本の旅でルーツを感じられたことは大きな収穫でした。また、この旅は海外で出会った大切な友人たちとの再会も含め、すばらしい出会いの連続でした。それはずっと以前から用意されていた贈り物のようで、すっとわたしの心に渡されました。わたしはそれぞれの人と手をつなぎこころをつないだのでした。

 いま、わたしはつながれた手、心は「根っこ」なのだと実感します。この縁側の前にひろがる森の雪の下、地中世界にひろがる根は、表層に見える森の植物たちの礎でしょう。

 わたしはこのくにに自分の「ルーツ」があることを知り、さらなる「ルーツ=根」を張りはじめたのです。

 年が明けたら、屋久島で小さな庵をもって暮らし始めるつもりです。
 バックパックひとつのヤドカリのような8年間に区切りをつけて、自分の巣を持つ生活は新たな挑戦と発見、そして学びの日々になるだろうとわくわくしています。

 わたしが地球のどこかでつないできた「こころの根」と、これからこのくにで育んでいく「こころの根」がつながり強い礎となって私が経験する現象世界に美と調和をうみだすこと、それを多くの人々、できうるならばすべての存在と共有できることを祈っています。

 最後に昨年12月23日亡くなった日本のオルタナティブ、カウンターカルチャーの先駆者であった敬愛する ナナオ サカキ の詩をクリスマスプレゼントとして贈らせてください。




   『 ラブレター 』


 半径 1mの円があれば
 人は 座り 祈り 歌うよ

 半径 10mの小屋があれば
 雨のどか 夢まどか

 半径 100mの平地があれば
 人は 稲を植え 山羊を飼うよ

 半径 1kmの谷があれば
 薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

 半径 100km
 みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

 半径 1000km
 夏には歩く サンゴの海
 冬は 流氷のオホーツク

 半径 1万km
 地球のどこかを 歩いているよ

 半径 10万km
 流星の海を 泳いでいるよ

 半径 100万km
 菜の花や 月は東に 日は西に

 半径 100億km
 太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

 半径 1万光年
 銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

 半径 100万光年
 アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

 半径 100億光年
 時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ


     そこで また
     
     人は 座り 祈り 歌うよ

     人は 座り 祈り 歌うよ





合掌