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2010年11月1日月曜日

「山水人2010を終えて」 写真と文 by.misato

山水人2010が無事終わった。

今年で6年目となる山水人は、
5年間続いたGOAGILが去年の事件をきっかけに来れなくなり、
実は今までGOAGILにすっかり頼りきってしまっていた山水人は
これからどうしていかなければならないのかと当惑していた。

全ての出来事は起こるべくして起こった事だ。
様々な出来事に捕われるのではなく、
どう捉えるかだけで、すべてが学びとなり成長となるのだということ。
それはおそらく関わっていた誰もが思っていた事だ。
信じて進むしかないという事。

今年の山水人は、5年間の流れが大きく変わる時だった。
"新たに生まれ変わる"というそのものがテーマだった。

始まる前まではまったくどうなるか分からなかった。
ただ今まで積み重ねられて来た経験と、
私たちそれぞれの山水人に対する自信だけが頼りだった。
今年は開始1週間前になってもスタッフもなかなか集まらなくて、
告知を担当している私は、実は本当に始められるのかということさえも心配になるほどで。
しかし、そんな私の勝手な心配もよそに、
ありがたいことに2、3日前から一気に手伝いの人々が増えた。

まつり前日の夜、ミーティングが行われた。
すでに30人程のスタッフが集まっていた。

このミーティングで話さなければならないことのひとつに今年の"まかない"の事があった。
実は、まかないも毎年一人の男性を中心にすべてを任せきっていたのだが、
彼がインド旅行へ旅立ったので、100人分以上を作らなければならないまかないを
そのまま誰かに任せるという事の責任の重さを感じていた。
今まで何かを誰か一人に任せることで様々な問題が巻き起こっていた。
頼ってしまうのではなく、全ては自発的でなければならないのだ。
これは決してなにか代償のある仕事ではない。
だから自分にとってそれが本当に必要であるかどうか、それを楽しむ事ができるかどうか。
そう思えるかどうかでしか、実際出来ないシゴト。

「フライヤーにも書いてあるように、今年まかないはないということになってます。
  けどオープンキッチンになってますので、
 作りたい人が作る、ということにしたらどうだろう

って言っていたんやけど。」

そうしましょうと相談した時に、

「私やります。」今年始めて参加した一人の女の子から、
「僕もやります。」と数人が挙手をしてくれた。



それから数日してから「大変じゃないん?」と訊ねると、
「全然大変ちゃうで?だってやりたいと思ったから。」と、安心できる言葉だった。

そうやって出来たあたたかなまかないは日々感動するくらい美味しくて、
皆で一緒に食事をするというその芯の部分の大切さを痛感する。
毎朝やりたい人が挙手をした、山水人の入り口の受付の波動が
どれだけ安心を産み出したのだろうか。
毎朝出発する交通整理は、一人の男性が自ら、
ひとつの地点を朝から夕方まで一日中
めったに誰も来ない道で、たった独り待機してくれた。
彼は「それが僕の役割だと思うから。」と言ったのだった。

今年の山水人で、私がなによりも本当によかったと思えるのは、
そういった人達の作り出すバイブスだったのだと思う。
スタッフもアーティストも出店者もお客さんも。
皆が「山水人を守り、楽しもう」とする、波動。
そして山水人で、いい波動がどんどん繋がっていくことを知る。

自然という絶対的な存在の前で、私たちはシンプルになって
ようやく自分を知る。自分と向き合い、そして人と向き合う。
向き合うことに少し怖いと感じることもあるかもしれないが、
それはただ自分を見つめることを放棄しているだけだ。

良いとか悪いとかそういう言葉でまとめてしまうのでもなく、
すべてありのままで自然体であるということを知ろう。
だから本当はもっと単純なのだ。一体私は何をしたいのか。
何か問題があった時にはその上で判断しよう。
決して怒りにまかせ怒鳴りちらすのではなく、やんわりと注意するように。
ひとつひとつしっかりと見つめていこう。逃げずに。

全国から様々な人が集まって、様々な出会いを産む。
まつり期間中から"あとのまつり"を含めた3週間程の間に、
毎日至る所で宴会が繰り広げられて、何の垣根もなく。
山水人村の住人達は共に生活する家族になった。

これは一度繋がると、なかなか途切れない和だ。
この和がどんどん大きくなっていくのが見える。

私の周りにはすでに沢山の山水人で出会った大切な大切な友人達がいる。
山水人の素晴らしさは自然と人との関わりを強く実感させてくれることだ。
その中に居ると、自分に自信が生まれていく。
自信は、私がこれからどこへ向かうべきかを教えてくれる。
自分の役割を知る。明るく照らしだされた道。
私はこのまつりが、私たちからその次の世代まで
どこまでもどこまでも続いてほしいと願う。

山水人にまた深く感謝する。

惜しみなく与えてくれる朽木の自然と、水に。


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 【山水人2010】 2010/10/11~26 slideshow

http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157624987150949/show/

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写真と文:misato(http://www.misatohirono.com/


2010年1月12日火曜日

2010年山水人日記 「冬の朽木の味噌作り」 by.misato

 山水人の母屋で味噌作りがあるという連絡網が入り、
私たちは京都で待ち合わせて、車に乗って滋賀県の朽木へと向かう事になった。
1月初旬。
まだ雪は少ないらしく、昼間なら普通のタイヤでも上がれるらしい。
「本当に大丈夫かな?」と運転手の青ちゃんが少し不安そうに言う。

稲刈り以来の、久しぶりの朽木。

朽木への美しい道は、明らかにいつもとは違う景色で、
雪が少しずつ増えて、いつの間にか辺りは真っ白の世界になった。
人の少ない朽木の冬。
こんなにも静かな冬は、
京都にずっと住んでいる私にとってはとても新鮮だ。
積雪はまだ50cm程だろうか、車は無事に到着した。

誰も触れていない真っ白な雪の中で、
キクちゃんと大喜びで雪だるまを作った。

雪の中に佇む山水人の母屋の入り口を開けて、
私は思わず「ただいま」と言う。
雪が深い朽木の冬は家からあまり外に出る事はない。
だからその分、ここまるで田舎のおばあちゃんの家のように暖かい。
今まで味わった事のない、懐かしさ。

去年の山水人でまつり作りのお手伝いをしていたら、
1ヶ月程のこの母屋での生活によって、
この大きな家は、しっかりとこの大地に根を張って、
山水人を通して出会った人達と共に、
いつでも私を優しく包み込んでくれるのだった。
味噌作りの為の大豆をコトコトと煮る囲炉裏の火は、
雪で冷えた体をじんわりと芯から暖めてくれる。
「火はやっぱりいいな。」とまた私は実感する。

「今日は、去年獲れた新米を炊いて、去年仕込んだお味噌でみそ汁にしよう。」と
ゆうじ君が言った。
田植えから、稲刈りまでみんなでやったあの黄金色のお米が、
はじめて大きな釜で炊かれる事になった。
おかずはゆうじくんの作るヒジキと大豆の煮物。私の大好物だ。
去年の今頃に仕込んだお味噌は、ほんのりと甘くまろやかで繊細な味がした。

机に並べられた食事から湯気がもくもくと上がって、
私たちは一斉にいただきますと言う。
家の外は冷えた雪に囲まれて、
そして私たちは木で出来た家の中で、みんなで火にあたりながら、
とてもシンプルな食事をする。

しかし、なんてご馳走なんだろう。

「贅沢だね」なんて思わず言うが、これは昔からのあたりまえの食事だ。
街で生活していると、日頃から簡単に食べられるご飯を食べすぎていて、
その全ての食べ物が出来るまでの手間ひまや愛情をすっかり忘れてしまっていたり、
その事について全く考えなかったりする。
こうやってお米作りをしたり、畑を手伝ったり、
そして味噌を作ったりする事。
そうやって自分たちの愛情をたっぷり籠めた食材でつくった料理が、
こんなにも美味しいなんて、私はこの山水人で新ためて知るのだった。
全てはとてもシンプルな事で、そしてとても大切な事だと感じる。

こうやって、慣れない私たちをナビゲートしてくれる、
生杉の住人の方々に、山水人の先駆者に、この美しい土地に新ためて感謝する。

山水人
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山水人2010「味噌作り」Slide show
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157623055410695/show/

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また春が来て、田植えの準備が始まる。
山水人にある田んぼはまだ沢山使われていなくて、
私たちはいつかこの田んぼが黄金の稲や沢山の畑でいっぱいになればいいなと思う。
子供達が生き生きと生活し、自然と共に生きる生活。
山水人のまつりの芯も、そこにあるのだ。
そしてそれを他の誰でもなく、気になるみんなで関わって、
みんなで一歩一歩、歩んでいく道。
山水人はそんな道を作る。誰でも通れる大きな道。


私たちはいつも一緒に歩む手伝いを募集しています。

写真と文:misato(http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono/





2009年10月17日土曜日

山水人2009「スタッフパスと入場証デザイン」by.misato

山水人2009のフライヤーはkotetsu君というデザイナーが毎年作っている。

レイアウトの美しさと繊細さはなかなか類を見ない。
山水人の文字量はかなりの多さで、
それをいつも出来るだけ読み易く作るという難題を、
今年は更に少しファミリー向けにするなど、さらに上手をいく。

私は今年はスタッフパスとまつりの入場証、チケットなどを作らせてもらった。
また、毎日張り出されるお知らせやスケジュール作成。
奥のフロアでDJのオールナイトがある時は、
前日にパーティフライヤーを会場内の至る所へ張り出した。
今回の森の中の奥まったDJフロアでのパーティは
”山水人村内で行われる野外パーティへ遊びに行く”というイメージを出したかった。
思った以上に人は集まって、その場所はかなりいい感じに熟された。
フライヤーはあまり手をかける事が出来ずにかなり簡単なものになってしまったけれど。
来年はもう少し凝れたらいいなと思う。

入場者証は、今までは木材を切って
焼き印を入れるという、とても凝った作りになっていて、
それが2年間続いたので、今年はバッチにする事になった。
ただ単純にまつりが終わっても付けていられるバッチを目指したかった。

山水人の準備中に朽木で作ったこのデザインは、
陽と、木と、水のマテリアル。通し券、前半券、後半券の3種類だ。
作ってみて、意外にも緑色のバッチが気に入った。

山水人2009デザイン

スタッフパスは、今年はラミネートにすることにした。

今回は、ひとめで”スタッフ”と”アーティスト”が分かるもの。
身につけた人の意識が上がるようなもので、

数も出来るだけ管理して、付けている人が目立つようにという事も考慮した。
アーティストのパスはかなり目立ったと思う。がちょっと大きかった。
来年はなににしようか、頭を悩ませよう。
山水人2009デザイン

新月の明日は、久しぶりの朽木へ上がってまた山水人ミーティングが行われる。

山水人は常に続いている。
まるで生活の一部のように。



designと文:misato
http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono/

2009年10月3日土曜日

2009年山水人日記 vol.04「まつりで得たもの」 by misato

 朽木のまつり「山水人」が終わって、しばらく放心していたら
ふと何もしなくてもどこまでもいけてしまう自分に気付いてしまった。
結局はすべて自分の責任で、自分がやるしかないという事を私は既に知っている。
もったいぶって、大切に守り続けていた重い重い鉄のような一歩は、
実は本当はなんてことないただの一歩だった。
一歩踏み出して、そうしたらまた次の一歩。
ただ無心に歩くように。実はそれはとても簡単で、たいした事のない話だ。
一歩ずつ前を向いて歩くこと。
ただそれだけで毎日素晴らしい風景が通り過ぎていく、
そしてその度に感動が心を震わせる。生きている実感とはおそらくこういうものだ。

大きなまつりは決してひとりでは出来なくて、
雑草を刈ったり、トイレの設置や水道の工事や、ステージや様々な人が住む沢山のTIPIの設営や、
フライヤーを配ったり、入場者証を作ったり、台所の準備や、畑の収穫や、後片付けや。
アーティストや様々な人が参加して、表現して、体感していく。
みんなで作らなければ決して感じることの出来ない経験。
それぞれの一歩はひとつになって大きな大きな一歩になる。様々なものを巻き込んで。
とても貴重で大切な体験だ。

山水人2009

進むという事は決して派手な事ではなくて、ただの日常だ。
一歩を踏み出すことは実はとても軽くて簡単で、そしてとても地道なもの。
”電気のない日”の始まりに、大人数で二手に分かれてロープをひっぱり合い、
そのロープの中心にある木の軸の先端が摩擦によって削られて、
そこに小さな小さな”火”が生まれた。

小さな火は次第に大きな木に燃え移り、最後には大きな大きなたき火となった。
それはライターで簡単におこせる火とは明らかに違うと、だれもが感じただろう。
人々の力や思いが籠められた火は、とても神聖でありがたいものだった。

ワープしようとすれば、その分何かが犠牲になる。
畑に農薬を使うのは、時間や手間を省く為だ。
手で植えられた一粒一粒の米は、先日立派な黄金色の稲穂となって刈り取られた。
山水人玄米の餅つき大会は、石取りから食べるまでに様々な人によって共に形作られて
スタッフやお客さんの境目がない、最高の食事となった。
日々それはそれは大きな釜によって、みんなのご飯がまかなわれた。

山水人2009

母屋の台所は色々な人で生き生きと活気づいていて、
女性によって山水人で生まれた天然酵母で美味しいパンやお菓子が次々に焼かれていった。

人が関わる以上、必然的に起こる様々な問題の中で、
焦ってとりあえず前に進もうとせずに、ひとつひとつを確認して
ゆっくりと確実に先に進まなければならないということを知る。
何よりも難しい問題は、一体何が間違っているのか実際には誰もわからないという事なのだ。
どの選択肢も、結局はそこに存在する。
それは関わっているみんなで話し合って、みんなの心に聞くしかない。
全ての問題は、間違っている間違っていないで判断するのではなく、
まだまだ続く未来の為に、じゃあ私たちはどうすればいいのかを考えるべきだ。
10年先を見よう。私たちが生きる遥か昔から存在する、樹々や美しい水が教えてくれる。
誰もが美しい自然を愛している。

山水人2009

大きな大きな問題はみんなの共通経験として、私たちは確実に大きく前進しただろう。
話し合い大きな一歩を踏み出す事で、意識は心から深く繋がっていった。
自信を、私は今回の「山水人」で得ることが出来た。
それは人生において本当に大切な経験だった。

毎年遊びに行っていた「山水人」は、
今年のスタッフをきっかけに私の一部となった。
山水人は形がなく、とても有機的だ。実際どうなるかは誰も分からない。
それぞれがやりたいことをやるしかない。まっすぐに前を向いて。
そうすれば打てば響く水の様に、意識は確実に伝わっていることを体感する。
喜びや嬉しさや、様々な素晴らしい出会いが周りに溢れている事に気付くだろう。

私は、生まれてよかったと心から思う。

山水人に、美しい朽木の自然に、周りの友人たちに、
親に、自分自身に、感謝しよう。


写真と文:misato
http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono/

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■山水人2009【前半】写真 Slideshowhttp://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157622423914146/show/

■山水人2009【後半】写真 Slideshowhttp://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157622300579593/show/

※枚数がかなり多いので、右上Optionsより“fast”を選択してください。   

   また画像が荒くなりますので、□のチェックは全てはずしてご覧下さい。

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2009年9月22日火曜日

山水人2009「記憶の写真集 」by misato

山水人2009

ついに、祭りが終わった。

何度も日記を書こうとしたけれど、
どこから書けばいいのか、
なかなか筆が進まずにいる。

とりあえず撮りためた写真を整理したので、
ここに載せる事にしよう。

これは、私の見た山水人だ。

だれもが答えを求めたがるが、答えが全てではない。
答えなんて、実際誰が分かるのだろう。
全ての経験は、私たちの身となっていく。
それだけは間違いない。

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■山水人2009【前半】写真 Slideshowhttp://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157622423914146/show/

■山水人2009【後半】写真 Slideshowhttp://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157622300579593/show/

※枚数がかなり多いので、右上Optionsより“fast”を選択してください。   

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写真:misatohirono

2009年8月22日土曜日

2009年山水人日記 「自分の役割」by.misato

 奄美大島から帰ってからしばらく仕事なんかして、
ようやく時間が空いたので、8月14日のお昼に朽木へと向かった。
相変わらず京都から朽木への原付でのドライブは
梅の木の交差点を左折してから緑が次第に生き生きと美しくて、
京都のうっそうとした暑さとはうってかわって風がひんやりと心地よく私を包み込んだ。

しばらくして、私たちが6月に田植えした田んぼの横を通った。
そこは一面がすべて緑色に変わっていた。それはそれは美しい緑色に。
あんなにもほっそりとした苗は、今はしっかりと大地に根を下ろしていた。
均等に並んだ稲穂はとても力強く逞しく感じて、
それはきっと一本一本に籠められた思いなのかもしれないと、
見ているだけでなんだか元気をくれる。

山水人 朽木


久しぶりに朽木へ帰って来た。

母屋に着くなり、リラが駆け寄ってアイとジンガが飛びかかって来た。
あぁ覚えていてくれたんだなぁと少しうれしく思う。
気付けば前回の田植えより既に2ヶ月が経過している。
しかしその2ヶ月間は私のすぐ傍に山水人があったのだった。


山水人 朽木


奄美大島では山水人で再会するだろう出会いが無数にあった。
5年目にして山水人の知名度は驚く程で、
山水人に関わっているというだけで、出会う人がより身近になった。
そうして何度も何度も世界の狭さを実感する。
「じゃ、山水人で。」
別れ際にそう言える嬉しさが、なんだかとてもありがたかった。
ひとつひとつの出会いが私の人生と深く混ざり合う。


山水人にある大きな母屋は、相変わらずどしんとそこにあって、
その安心感にほっと、まるで田舎の家に帰って来たような気持ちになる。
「ただいまー」とそう言いたくなる程にここは私を受け入れてくれる。
ほんの2ヶ月前のたった1週間の滞在は
既に色濃く深く、私に刻み付けられていた。

着いた日、山水人は相変わらずでとても静かで、
数人の山水人村の住人や、子供たちや、長期間母屋に滞在している人や、
そして数人の手伝いが山水人の準備にとりかかっていた。
ゆっくりとまつりが近づいているのだ。

山水人 朽木

6月くらいから、数人で何度も打ち合わせをしてフライヤーやWEBに向けて
様々な細かい詳細が決まっていった。
様々な問題が起こっては消えていき、起こっては変化した。何度も。
今思えば、こんなに大きなまつりなのだ、関わっていくみんなが本当に必要で、
そしてみんなが山水人の事を大事に思っている。
気持ちが入れば入る程に熱くなっていく。それは当然の事だ。
熱い思いはぶつかり合って弾けていく。

こうしたい!と思って、けれどうまく行かなかったときに、
ヨガの先生のトシ君がよく言う言葉を思い出す。
「だから俺、いっかい手放そうと思って。」
それは決して”どうでもいいや”なんて投げやりになるのではなくて、
温かな気持ちをもって見守ること。時の経過を、さまざまな流れを。
客観的であって、けれども決して遠くない。
それはきっと深い愛が繋いでくれるのだろう。

実際にやらなければならないことはほんの一部だ。
しかもそれは自分たちの力量にみあったものでなければならない。
それぞれがそれぞれの出来る事を出来る範囲で。無理をせずに。
そうしてゆっくりと私たちは水を流すための溝を掘る。


さて私はどんな水を流そうかと思いを馳せる。
先日読み終わった”ミュータントメッセージ”に書かれていたのだが、
オーストラリアのアボリジニ”真実の人”族は、
人をその人の得意なもの名前で呼ぶ、例えば”女の癒し手”や”石探し名人”等と。
その一人一人には役割があるという。
私は人の名を呼ぶ事が出来るだろうか、そして自分の名を呼ぶ事が出来るだろうか。
私の役割は一体なんだろう。

気付けばいよいよ山水人もあと残す所1週間程となった。
GOAGILが始まるまでにたくさんのTIPI設営が行われる。
手伝いに来てくれるという人の集まりも
例年以上にゆっくりで、大丈夫かなぁとなんとかいいつつも、
どうやら現在は20人程が集まってくれているそうで、
また来週からもっともっと人が増えて、一気に準備は進むだろうか。
それぞれの役割がはっきりとわかれば、きっとそれはとても楽しくスムーズになるだろう。

私も明日再び京都から朽木へと上がる。

既にこんなにも様々な事を山水人は与えてくれる。それは自信や、これからの希望や。
乾いた土に水をやるように、どんどんと大地に水がしみ込んでいくのが分かるように。
ありがとうと、そう深く思う。

写真と文:misato
http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono



▽大工の棟梁がやってきて、農小屋作りが始まっている。
山水人 朽木山水人 朽木

▽イーリャダスタルタルーガスのメンバーも山水人の重要な一員だ。
山水人 朽木

▽実は去年の玄米は精米の時に石を巻き込んだ。
   毎日玄米を食べる為に石をとる作業から始まる。ちょっとハマル。
山水人 朽木

2009年6月26日金曜日

2009年山水人日記「蒸し暑い京都で山水人の事を思う」by.misato

 昨日、山水人の創始者のひとり”祖牛さん”の家でミーティングがあった。

今回のミーティングは少人数で、『なまえのない新聞』のアパッチさんとともに

山水人のWEBについて、そして物作りについて色々と感じたとても貴重な時間だった。

155回も続いている『なまえのない新聞』を皆さんはご存知だろうか。

ホームページを見ていたら、創刊号が掲載されていた。

日本ではドカベンの連載が始まり、テレビではデビルマンが流れ、

田中角栄が日本の首相になり、そして世界中でヒッピー全盛時代が始まった…

それはもちろん私がうまれる前の事だ。


手書きのとても素敵なその新聞の上には『なまえ募集中』と書いてあって、

そうか、そうやって『なまえのない新聞』は生まれたのだと知る。

裏面の告知ページには「立川基地をマヒさせる為に伝書鳩を安くゆずって」や

”井の頭不純潔集会”のメニューには”バクチク500発”や”トリス?1本”。

”しょうちゅう2本”全て無料!ー地球防衛軍。などと書いてあって

その時代のアツさが、京都のムッとしたこのアツさと不意にリンクする。

■なまえのない新聞HP…http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/index.html

「”いのちのまつり”が、ちゃんと新聞を始めようとしたきっかけなんです。」と

アパッチさんは言った。

その”いのちのまつり”で毎日様々な人が関わって”いのちのまつり新聞”が張り出された。

その時の新聞もまだきちんと残っていて、少し読ませて頂いた。

アーティストのインタビューや環境の事や、様々なまつりに関わる人や出来事。

その時の情景がまるで目に浮かぶようで、とても面白かった。

「僕はその後2日程寝込んだんですが、それでも大変貴重な経験だった」と、彼は言った。

体を壊してはいけないが…しかしそこまで打ちこむ事が出来るというやりがいと、

そして実際に形にされてきたということに、私の血もざわざわさわぐ。


アパッチさんはそうしてまたこの山水人のHPに一滴の雫を垂らしてくれる。

様々な人たちがまた”山水人”に深く関わってきている。

私もただフラフラと参加しだしただけだけど、

こうやって色んな人と出会い、その人に刻まれた歴史のページを体感する。

そうして様々な事を感じさせてもらえる事は、

なんて貴重で、自分にとって大切なことなのだろう。

今年の山水人でも、地元のおじいちゃんおばあちゃんの知恵を教えてもらったり、

オールドヒッピーの方々の熟成した話などなど、

本当に貴重な話を聞かせて頂けることだろうと思うと、とても楽しみだ。


今年はゆっくりと山水人を手伝おうと思ってから、

私がちょっと得意な事をなんか適度にやっていたら、

いつのまにか告知から深く関わっていく事になっていた。

こうやって、どんどん山水人は流れている。

どこからともなく人が集まって

そして広がっていく”山水人”はまるで本当に水の源泉のようだ。
落とされた一滴は、遠く遠くどこまで流れていく。

そういえば人の70%は水分で出来ているそうだ。あながち間違ってない。

だからほんとうに面白い。こんなにいい表現の場所はないななんて感じる。

水の人のあつまる場所。

ともかく、ほんとに決して無理をする必要はないと思う。気楽~に柔軟に。

何の為だとか、誰の為だとかいうよりも、

何よりも純粋にシンプルに、自分自身が楽しい!と感じる事を。

なぜならそれが一番いい波だ。この生杉のおいしい水のように。

そしてそれはきっと遠く遠くどこまでも続いていく。

文:misato

2009年6月8日月曜日

2009年山水人日記「田植え」by.misato

 滋賀県の、人里離れた奥地に、
それはそれは静かな”朽木”という場所がある。

先日、「山水人村で田植えをやります」というお知らせを耳にして、
愛車50ccのスクーターに着替えと寝袋とお菓子を積み込んで
私の小さな小さな旅が始まった。

山水人 2009


京都市内から自然の中をゆるゆると原付で1時間半。

久しぶりに訪れたその日は、山の木々にうっすらと霧がかかっていて

緑はみずみずしく、辺りは遠く鳥たちが唄い、さらさらと小川が美しい音色を奏でる。
なんて静かな音色だろう。私は久しぶりにゆっくりと全身を自然の中に浸す。


あまくとろりとしたおいしい水の湧くこの”朽木”という場所は、
自然に囲まれた人と音楽と学びのおまつり「山水人-やまうと-」の開催地だ。

もともと京都の友人たちが集まってできたこのおまつりは、
今となってはいつのまにか、既に全国の様々な人たちの愛や優しさや、
ゆっくりと流れる時を経て、今年で5年目となる。

山水人 2009

最近、勤めていたデザイン会社を辞めて、
フリーのデザイナーとして少しの貯金とぎりぎりの収入の中でなんとかやりくりしはじめて、
そしてようやく自由になった私が”自分のやりたいこと”をふと考えたら、
『日蝕を見に行く』事と、そして同時に『山水人を手伝いたい』という事だった。


2008年の山水人の最終日。まるでここは本当に村のようで、
子供や犬は走り、人々は笑って好きな事をして楽しんでいた。
私は様々な友人たちとすばらしい時間を過ごして、
この美しい自然と、水と、そしてこの場所が既に用意されているという事と
その為に費やされた努力と愛に、
私は心から「ありがたいなぁ。」と思ったのだ。
そして強く、
この場所が、このまつりがずっとずっと続いてほしいと感じた。
それは確実に私自身の為だった。

幾度となく様々なフェスティバルに参加したが、


私にとって「山水人」は他のフェスティバルと比較できない、とても貴重な”まつり”だと思う。


フェスティバルとすれば、かなりの長期間の中で、山水人は確かに村へと変化を遂げる。
自然に包まれて、人々は共に繋がっていく。


今傍に居る友人とさらに深く強く、全国にちらばる友人たちと再び出会い、


そしてまた、新しい友人たちと出会う。


今ふと周りをみわたせば、私の周りに山水人は深く深く根を張っているのだ。


寄り添うように並ぶ、この朽木の樹々のように。



ここは自然と共に生きる術を学ぶことが出来る場所なのだと思う。
周りの自然がどんどん小さくなっていくこの世界で、
私は自然と共に過ごす方法を学びたいと、強く願う。


そう思っていた矢先に、「山水人村の田植え」の連絡が入ってきた。
山水人のまかない等に使われるお米作りのお手伝い。
私は田植えをした事がなかったので、一体どうやって米を作るのか知らないし、
別に知らなくて良いといってしまえばそれまでだが、米は私にとってなくてはならない存在だ。
どうすれば作る事ができるのか、知らない事がむしろ不思議に思う。
抜群のタイミングにのらない手はない。
人生の中で選択肢は数多くあるが、選んだ途端に方向は決まっていく。
そうして私は自然の中へと向かった。

朽木についたら既に夕方近くになっていて、少し霧がかかっていて肌寒かった。
入り口にある田んぼの中に、4人が明日の田植えの為に土をならしていた。
私は餅つきの用意を手伝う事になった。
ブラジルサンバパレードグループ、イーリャダスタルタルーガスのメンバーが数人
練習に訪れていて、畑から上がってきた4人と一緒に餅つきをして食べた。
外で食べたつきたてのお餅はあったかくて驚く程柔らかくて、
大豆やきな粉や砂糖醤油や海苔なんかでパクパク食べた後に、
囲炉裏を囲んで雑煮と、あんこで締める。
つきたてを食べると、市販の餅がなんて頼りないんだろう。

その夜のうちに帰るイーリャのメンバーを見送った夜に
私のシェアハウスの同居人たちが車に乗ってやってきた。

そうして次の日の朝、田植えは始まった。

天気はなんとかぎりぎりもっているような曇り空ですこし肌寒かったけれど、
裸足で泥の中にとっぷり浸かったら、土がぬるくて心地いい。
12人で1.5反程の田んぼに、皆で横に並んで25cm(?)程進むごとに苗を一本ずつ植えていく。
一本植えをすると、太陽の光が良くあたって風通しも良くなり、強い稲になるそうだ。

細く小さな小さな苗を泥の中へクッと押し込んでやると
小さな苗はしっかりと空に向かって立つ。
少しずつ私たちの歩いた道にまっすぐに美しく苗の点々が残っていく。
次第にみんな息が合っていく。植える速度も確実に早くなるのが面白い。
けれどそれでも慣れないのか、先はまだ遠くに見える。

一歩ずつ、一歩ずつ。

気長な作業だなぁと思う。そしてそう思えば思う程に、
この稲の一本一本が、稲穂になるのだということを想像する。
そして米粒となって私たちの口へと運ばれる姿を想像する。
一本一本への思いが、私の血へと流れ込む。

そうやって刻み付けられる一本、一本を確かに感じながら、
私たちはようやくひとつの田んぼの端から端へ苗を植えた。

第一回の田植えが終わって、お昼ご飯を食べた後に少し小雨が降った。

ますます空気は冷えてしまって、寒さにちょっと疲れた数人がお休みをして
また残りの数人で田んぼへと向かった。
そしてまた一歩ずつ一本ずつ苗を植えていく。
ようやく終わったとき、みんなすっかり疲れてしまっていて、
用意してくれた足湯と、囲炉裏で炊かれた暖かい米の一粒一粒が、
心に染み渡った。

寒さの中でやり遂げたという、満たされた充実感の中で日曜日は終わり、
同居人を含む、仕事が待つ人はみんな帰っていった。
私は時間に追われていなかったので、数日はここにいようかななんて思っていた。

次の日目覚めたら、空はすっかり晴れていて
雲ひとつない青空がまぶしい程で。
けれど私のからだは結構疲れてしまっていて、
お昼ご飯を食べてまたうとうととしてたらすっかり眠ってしまっていた。
起きたときには皆は既に居なかった。

田んぼへ着くと、残った6人で、
また、残りの田植えが始まっていた。

今こうして田植えを手伝うことが出来るということは、本当に貴重な経験だと実感する。

なぜなら私の周りでは誰一人農家がいない。そして自分一人でする勇気すらない。

一人ではなかなか出来なかった事を、こうやって準備してもらって、

稲を植えるだけで田植えを経験したなんて決して言えないなと思う。

前日の夜に、寒空の中で土をならしていた4人を思う。
こうやって連日の疲れを感じさせない程に、
たまに笑ったりしながら、どんどん稲を植えていく6人を思う。

山水人で給料をもらうひとは一人もいない。みんなボランティアなのだ。

その後数日滞在している間に、皆の働きを私は見る。
そして自分に響いた事。まるで果てしなく広がる水の波紋のように。

まっすぐに脇目もふらず自分を動かす意思は、強く偉大だということを。
ことあるごとに行動に理由を付けたがる自分がいる。そうしなければ動けない自分がいる。

しかし、よく考えてみようと思う、
全ての自分の行動は、結局誰の為でもない、自分の為なのだ。


自分がやりたいことしかする必要はないし、無理する必要はない。
しかし行動はすべて自分となっていく。

まっすぐな彼らをすごいと羨むのなら、私は自分のやりたいようにやるしかない。
まっすぐに、前を向いて。


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2009/05/31 田植え ”山水人村[朽木]” slidshow
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写真と文:misato