2009年6月8日月曜日

2009年山水人日記「田植え」by.misato

 滋賀県の、人里離れた奥地に、
それはそれは静かな”朽木”という場所がある。

先日、「山水人村で田植えをやります」というお知らせを耳にして、
愛車50ccのスクーターに着替えと寝袋とお菓子を積み込んで
私の小さな小さな旅が始まった。

山水人 2009


京都市内から自然の中をゆるゆると原付で1時間半。

久しぶりに訪れたその日は、山の木々にうっすらと霧がかかっていて

緑はみずみずしく、辺りは遠く鳥たちが唄い、さらさらと小川が美しい音色を奏でる。
なんて静かな音色だろう。私は久しぶりにゆっくりと全身を自然の中に浸す。


あまくとろりとしたおいしい水の湧くこの”朽木”という場所は、
自然に囲まれた人と音楽と学びのおまつり「山水人-やまうと-」の開催地だ。

もともと京都の友人たちが集まってできたこのおまつりは、
今となってはいつのまにか、既に全国の様々な人たちの愛や優しさや、
ゆっくりと流れる時を経て、今年で5年目となる。

山水人 2009

最近、勤めていたデザイン会社を辞めて、
フリーのデザイナーとして少しの貯金とぎりぎりの収入の中でなんとかやりくりしはじめて、
そしてようやく自由になった私が”自分のやりたいこと”をふと考えたら、
『日蝕を見に行く』事と、そして同時に『山水人を手伝いたい』という事だった。


2008年の山水人の最終日。まるでここは本当に村のようで、
子供や犬は走り、人々は笑って好きな事をして楽しんでいた。
私は様々な友人たちとすばらしい時間を過ごして、
この美しい自然と、水と、そしてこの場所が既に用意されているという事と
その為に費やされた努力と愛に、
私は心から「ありがたいなぁ。」と思ったのだ。
そして強く、
この場所が、このまつりがずっとずっと続いてほしいと感じた。
それは確実に私自身の為だった。

幾度となく様々なフェスティバルに参加したが、


私にとって「山水人」は他のフェスティバルと比較できない、とても貴重な”まつり”だと思う。


フェスティバルとすれば、かなりの長期間の中で、山水人は確かに村へと変化を遂げる。
自然に包まれて、人々は共に繋がっていく。


今傍に居る友人とさらに深く強く、全国にちらばる友人たちと再び出会い、


そしてまた、新しい友人たちと出会う。


今ふと周りをみわたせば、私の周りに山水人は深く深く根を張っているのだ。


寄り添うように並ぶ、この朽木の樹々のように。



ここは自然と共に生きる術を学ぶことが出来る場所なのだと思う。
周りの自然がどんどん小さくなっていくこの世界で、
私は自然と共に過ごす方法を学びたいと、強く願う。


そう思っていた矢先に、「山水人村の田植え」の連絡が入ってきた。
山水人のまかない等に使われるお米作りのお手伝い。
私は田植えをした事がなかったので、一体どうやって米を作るのか知らないし、
別に知らなくて良いといってしまえばそれまでだが、米は私にとってなくてはならない存在だ。
どうすれば作る事ができるのか、知らない事がむしろ不思議に思う。
抜群のタイミングにのらない手はない。
人生の中で選択肢は数多くあるが、選んだ途端に方向は決まっていく。
そうして私は自然の中へと向かった。

朽木についたら既に夕方近くになっていて、少し霧がかかっていて肌寒かった。
入り口にある田んぼの中に、4人が明日の田植えの為に土をならしていた。
私は餅つきの用意を手伝う事になった。
ブラジルサンバパレードグループ、イーリャダスタルタルーガスのメンバーが数人
練習に訪れていて、畑から上がってきた4人と一緒に餅つきをして食べた。
外で食べたつきたてのお餅はあったかくて驚く程柔らかくて、
大豆やきな粉や砂糖醤油や海苔なんかでパクパク食べた後に、
囲炉裏を囲んで雑煮と、あんこで締める。
つきたてを食べると、市販の餅がなんて頼りないんだろう。

その夜のうちに帰るイーリャのメンバーを見送った夜に
私のシェアハウスの同居人たちが車に乗ってやってきた。

そうして次の日の朝、田植えは始まった。

天気はなんとかぎりぎりもっているような曇り空ですこし肌寒かったけれど、
裸足で泥の中にとっぷり浸かったら、土がぬるくて心地いい。
12人で1.5反程の田んぼに、皆で横に並んで25cm(?)程進むごとに苗を一本ずつ植えていく。
一本植えをすると、太陽の光が良くあたって風通しも良くなり、強い稲になるそうだ。

細く小さな小さな苗を泥の中へクッと押し込んでやると
小さな苗はしっかりと空に向かって立つ。
少しずつ私たちの歩いた道にまっすぐに美しく苗の点々が残っていく。
次第にみんな息が合っていく。植える速度も確実に早くなるのが面白い。
けれどそれでも慣れないのか、先はまだ遠くに見える。

一歩ずつ、一歩ずつ。

気長な作業だなぁと思う。そしてそう思えば思う程に、
この稲の一本一本が、稲穂になるのだということを想像する。
そして米粒となって私たちの口へと運ばれる姿を想像する。
一本一本への思いが、私の血へと流れ込む。

そうやって刻み付けられる一本、一本を確かに感じながら、
私たちはようやくひとつの田んぼの端から端へ苗を植えた。

第一回の田植えが終わって、お昼ご飯を食べた後に少し小雨が降った。

ますます空気は冷えてしまって、寒さにちょっと疲れた数人がお休みをして
また残りの数人で田んぼへと向かった。
そしてまた一歩ずつ一本ずつ苗を植えていく。
ようやく終わったとき、みんなすっかり疲れてしまっていて、
用意してくれた足湯と、囲炉裏で炊かれた暖かい米の一粒一粒が、
心に染み渡った。

寒さの中でやり遂げたという、満たされた充実感の中で日曜日は終わり、
同居人を含む、仕事が待つ人はみんな帰っていった。
私は時間に追われていなかったので、数日はここにいようかななんて思っていた。

次の日目覚めたら、空はすっかり晴れていて
雲ひとつない青空がまぶしい程で。
けれど私のからだは結構疲れてしまっていて、
お昼ご飯を食べてまたうとうととしてたらすっかり眠ってしまっていた。
起きたときには皆は既に居なかった。

田んぼへ着くと、残った6人で、
また、残りの田植えが始まっていた。

今こうして田植えを手伝うことが出来るということは、本当に貴重な経験だと実感する。

なぜなら私の周りでは誰一人農家がいない。そして自分一人でする勇気すらない。

一人ではなかなか出来なかった事を、こうやって準備してもらって、

稲を植えるだけで田植えを経験したなんて決して言えないなと思う。

前日の夜に、寒空の中で土をならしていた4人を思う。
こうやって連日の疲れを感じさせない程に、
たまに笑ったりしながら、どんどん稲を植えていく6人を思う。

山水人で給料をもらうひとは一人もいない。みんなボランティアなのだ。

その後数日滞在している間に、皆の働きを私は見る。
そして自分に響いた事。まるで果てしなく広がる水の波紋のように。

まっすぐに脇目もふらず自分を動かす意思は、強く偉大だということを。
ことあるごとに行動に理由を付けたがる自分がいる。そうしなければ動けない自分がいる。

しかし、よく考えてみようと思う、
全ての自分の行動は、結局誰の為でもない、自分の為なのだ。


自分がやりたいことしかする必要はないし、無理する必要はない。
しかし行動はすべて自分となっていく。

まっすぐな彼らをすごいと羨むのなら、私は自分のやりたいようにやるしかない。
まっすぐに、前を向いて。


▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

2009/05/31 田植え ”山水人村[朽木]” slidshow
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

写真と文:misato