山水人の「水」がもうひとつの恐ろしい顔を見せた日
今回の山水人は凄まじい伝説になりました。一言で表すならこれは「被災」です。台風による記録的な豪雨、洪水、そして孤立と情報の途絶。橋の流された会場の対岸でどのようにあの時間を過ごしたのか、体験したことをありのままに記します。
今年、2年ぶり2回めの山水人に参加しました。オーガナイザーのひとりである一本さんに誘われ、奥の院でDJをすることになりました。ゆっくりとした雰囲気のある山水人、せっかくだから3泊4日と長めに下界を離れ、思う存分羽根を伸ばしながらLiveやワークショップを楽しみ、美味しいフードを巡ったり、自炊したりして遊ぶつもりでした。
13日の金曜日にレンタカーを借りて京都から途中越えして鯖街道を走り、安曇川を渡って朽木の奥深くへと向かう細い道を登ります。秋の気配は近づいていたけれど、山はまだ青々と茂り、青空には夏の雲が浮かんでいました。
エントランスにたどり着くと、以前訪れた時と同じゆったりとした空気に包まれていました。立ち並ぶタープとティピ、平和な隠れ里を思わせる情景に竹法螺の音が響きます。
メインステージ前から丸木橋を渡り、ワイルドキャンプサイトに友人達とテントとタープを張ることに。冷えたビールで到着の乾杯をし、わくせいステージでつきたてのお餅をいただき、久しぶりにてぃびち入りの沖縄風おでんも作ってみました。
この時はまだ、日曜日くらいに台風が日本に接近して、雨も振りそうだくらいの認識しかありませんでした。長靴も持ってきていたし、少し高台になっている足場のしっかりしたところに基地を作り、タープもしっかり木に結びつけていたので、雨が降っても気にならないと思っていました。ここでゆっくり飲んでいればいいだけだと。
14日の土曜日には友人夫妻が前の週末ぶりに山水人に戻ってきて、再び乾杯。この日ものんびり過ごし、夜11時から奥の院での自分のDJ。思う存分プレイし、一本さんのDJを経てノゲラさんのDJが始まった頃から雨が降り始めました。
雨は時折強くなり、思い出したように弱くなったりしながらずっと降り続けました。台風が過ぎるまでゆっくり飲んで過ごす覚悟を決めていた15日の日曜日の夕方、トイレ帰りに見た川の水は丸木橋を覆うほどに増水していました。
驚きながらもまだ大したことにはならないだろうと高をくくっていたのですが、私達が最後に橋を渡ってからほんの20分もしないうちに、橋が流されてしまったと話す声が聞こえました。ここで友人夫妻は橋を挟んで生き別れになってしまいました。岸まで行くと、橋は跡形もなく、川はどう考えても渡れない激しい茶色の濁流に変わっていました。
その後、ダイダバの泉の橋も、奥の院の橋も流されたことを知らされましたが、それでもまだ、あと数時間で台風は過ぎ去って翌朝には晴れて水が引き、予定通り帰れると思っていました。だから大した危機感もなく、Anbassaの八百屋で買ったかぼちゃを炊いて食べたり、同じく取り残された人から分けてもらった日本酒を飲んだりしていました。
でも日が暮れて雨は強くなる一方。車が何台か来てヘッドライトをこちらに向けてつけていたり、メインステージからはつちのこかぞくの声やフライング・ダッチマンのLiveが聞こえていました。励ましてくれているのかな、と考えていたけれど、「避難」「20分」などの声が聞こえた後、気がつくと向こう岸はめっきり静かに。
このまま朝まで飲んで過ごすしかないかと考えている内に、気がつくと自分たちのテントのすぐ側まで沼地に。それでも川の水位が上がってくることはないはずとその場にとどまっていたけれど、しばらくするとさらに山側から流れてくる水で道は川に、階段は滝になり、タープの下もくるぶしまでの深さの流れになっていました。
さすがにここで朝までは厳しいと、基地を放棄して友人が見つけてくれた一段高いところにあった、他の誰かが放棄したブルーシートのタープにひとしきりの荷物を持って避難しました。ここで焚き火台を見つけ、埋み火があったので比較的濡れていない薪を集めて火を起こし。なんとか暖を取っていました。
別の夫婦も合流し、身を寄せ合いながら眠れぬ夜を数時間過ごしていたけれど、雨はいよいよ強くなり、その場所も徐々に水没が始まり、足元が川になって流れ始めます。風が出始めたこともあり、仙人キャンプサイトに近い山際に立っていた一本さんのテントに2度目の避難をすることに。
その時に見た川の流れは言葉にするのもあまりにも恐ろしい濁流でした。ライトに照らされた川は、流れが完全に変わり、会場を突き破るようにして今にも溢れかえらんばかりでした。
たどり着いたテントは水没もしておらず、毛布も用意されており、ようやく乾いた服に着替えて人心地付くことができました。それでも激しい雨音の向こうから轟々という濁流の音は聞こえ、時折ふく風がテントを押さえつけます。
この時一本さんが命綱を付けて危険な橋を渡ってこちらまで来てくれ、ようやく完全な途絶状態が解消。鯖街道から山水人に至る道も土砂崩れや陥没で通れなくなっており、外部からの救助が来るには時間がかかるとのこと。とにかく今は待つしかありません。
目が覚めて16日の朝8時過ぎ、雨はまだ上がらずひたすら強く降り続けていました。川は夜中よりは若干落ち着いているように見えましたが、到底渡れない凄まじい濁流のまま。対岸はタープやテントがひしゃげ、バジャンのためのティピとキッズティピは跡形もなくなっています。あの近くにももっとテントもあったと思ったけれど、どうなったのかは全く分からず。
とりあえず自分たちのテントの様子を見に行くも、完全に潰れていてどうにもならない状態。最初に避難したブルーシートも支柱の竹が折れてぐちゃぐちゃに。避難して本当に正解だった。やはりまだ動き用がないのでテントに戻って体力を温存するために二度寝することに。
昼頃にようやく雨が上がり、青空も。このタイミングで奥の院方面の倒木にロープを張って通れるようにしたとの一報。途中で祖牛さんにも会い、手荷物と着替えだけ持って対岸に避難することになりました。奥の院の橋のあった場所の近くに、大きな倒木が川をまたいでおり、手すり代わりのロープが張られています。
落ちたら本当に危ない。どんなアトラクションにも負けないほど緊張感たっぷり。ひとりずつゆっくりとこの橋を渡ります。両手を開けていても、背中の荷物がバランスを崩させて怖い。焦らず一歩ずつ進みます。
対岸で軽トラに載せてもらって駐車場に到着。荷物を車に積み、山帰来(さんきらい)という集落の物産販売所へ。ここが避難所になっており、車が通れないために山水人から帰れなくなった人でいっぱい。なんとかレンタカー会社に被災して帰れない旨を伝えることができました。この先いつ帰れることになるのかこの時点では不明。明日かもしれないし1週間かかるかもしれないとの情報にみんなやきもきしていました。
自分たちはここまで来るだけでものすごく消耗していたようで、炊き出しのおにぎりを食べてすぐに、シャワーも浴びず、トイレにすら行かず硬い床の上で寝袋だけで爆睡。結局都合12時間も眠ってしまいました。
翌朝、自分たちで復旧作業を行う計画もあったけれど、どうやら昼過ぎにはとりあえずの復旧作業が終わり、下界に降りられるとのこと。
時間ができたので会場に戻り、別の倒木を渡ってテントとタープを片付けました。なんとか整理まではできたけれど、倒木を渡るのも大変で、車を泥だらけにするのも大変なので、後日再度訪れてピックアップすることに。
12時に予定通り道は開通。みんなでご尽力くださった生杉の方々にお礼を言い、行政の車を先頭に、しんがりのJAFに守られながら集団下山を開始。道自体は思ったよりはるかに綺麗になっていましたが、あちこちに洪水の傷跡が。行けども行けども被害が続き、言葉を失うしかありませんでした。
ようやく国道まで戻り、鯖街道が通れないため琵琶湖畔までの道の途中でみんなコンビニに寄って一休み。ようやく緊張感がほぐれ、興奮と安心で饒舌になっていました。そして無事に京都に帰ると、山科の駅の近くにも浸水の跡があり、嵐山一帯や地下鉄東西線の御陵駅が浸水しているとのニュースまで。それもあってかレンタカーの延長料金は取られず、お疲れ様でしたと労われてしまいました。
しかし本当に水はすごい。生き物に恵みをもたらすと同時に、どうやっても抗えない破壊もこうやってもたらしていくんだということを身をもって味わわされました。そんな時自分が何をできたのか、次は何をできるのか、いろいろ思い返すこと、考えることがありました。
史上初の大雨特別警報発令。山水人会場のある滋賀県高島市朽木の総雨量は500mmを越えました。全国的に見ても、最も雨がひどかったエリアのひとつで、そんなところでたった24人が川向こうでテントで孤立なんて、なかなか体験できるものじゃないですね。山水人ごと外界と途絶していて救援も来れない中、よくあそこまでやれたものだと思います。
それにしても祖牛さんを始めとした山水人のスタッフが地域としっかり繋がって対策してくれていたことはとても心強かったです。これが山水人が今まで作り上げて来たものの一端なんだなと目の当たりにできました。
今回の被災で、山水人では幸運なことに死者やけが人は出ませんでした。しかしティピや発電機、スピーカーなどが流されて大きな損害が生じ、来年の開催が危ぶまれる事態となっています。糺の森ワンダーランドでもカンパのための出店を行い、今月の満月の時には有志による救済イベント「神の月 満月収穫祭2013」が開催されます。
私は最後に山を降りる時、挨拶に立った生杉集落の区長さんが山水人に参加した私達に向かって「ぜひまた来年もお越しください」と声をかけてくれたことが忘れられません。地域に密着し、愛され、信頼関係を築き上げたこの祭が末永く続けられること、そのために山水人を愛する皆様と助け合って盛りたてていけることを願っています。
深海 a.k.a DJ sinX(DJ、ライター)
http://buzzap.jp/
https://soundcloud.com/thanatotherapy