ふと何もしなくてもどこまでもいけてしまう自分に気付いてしまった。
結局はすべて自分の責任で、自分がやるしかないという事を私は既に知っている。
もったいぶって、大切に守り続けていた重い重い鉄のような一歩は、
実は本当はなんてことないただの一歩だった。
一歩踏み出して、そうしたらまた次の一歩。
ただ無心に歩くように。実はそれはとても簡単で、たいした事のない話だ。
一歩ずつ前を向いて歩くこと。
ただそれだけで毎日素晴らしい風景が通り過ぎていく、
そしてその度に感動が心を震わせる。生きている実感とはおそらくこういうものだ。
大きなまつりは決してひとりでは出来なくて、
雑草を刈ったり、トイレの設置や水道の工事や、ステージや様々な人が住む沢山のTIPIの設営や、
フライヤーを配ったり、入場者証を作ったり、台所の準備や、畑の収穫や、後片付けや。
アーティストや様々な人が参加して、表現して、体感していく。
みんなで作らなければ決して感じることの出来ない経験。
それぞれの一歩はひとつになって大きな大きな一歩になる。様々なものを巻き込んで。
とても貴重で大切な体験だ。

進むという事は決して派手な事ではなくて、ただの日常だ。
一歩を踏み出すことは実はとても軽くて簡単で、そしてとても地道なもの。
”電気のない日”の始まりに、大人数で二手に分かれてロープをひっぱり合い、
そのロープの中心にある木の軸の先端が摩擦によって削られて、
そこに小さな小さな”火”が生まれた。
小さな火は次第に大きな木に燃え移り、最後には大きな大きなたき火となった。
それはライターで簡単におこせる火とは明らかに違うと、だれもが感じただろう。
人々の力や思いが籠められた火は、とても神聖でありがたいものだった。
ワープしようとすれば、その分何かが犠牲になる。
畑に農薬を使うのは、時間や手間を省く為だ。
手で植えられた一粒一粒の米は、先日立派な黄金色の稲穂となって刈り取られた。
山水人玄米の餅つき大会は、石取りから食べるまでに様々な人によって共に形作られて
スタッフやお客さんの境目がない、最高の食事となった。
日々それはそれは大きな釜によって、みんなのご飯がまかなわれた。

母屋の台所は色々な人で生き生きと活気づいていて、
女性によって山水人で生まれた天然酵母で美味しいパンやお菓子が次々に焼かれていった。
人が関わる以上、必然的に起こる様々な問題の中で、
焦ってとりあえず前に進もうとせずに、ひとつひとつを確認して
ゆっくりと確実に先に進まなければならないということを知る。
何よりも難しい問題は、一体何が間違っているのか実際には誰もわからないという事なのだ。
どの選択肢も、結局はそこに存在する。
それは関わっているみんなで話し合って、みんなの心に聞くしかない。
全ての問題は、間違っている間違っていないで判断するのではなく、
まだまだ続く未来の為に、じゃあ私たちはどうすればいいのかを考えるべきだ。
10年先を見よう。私たちが生きる遥か昔から存在する、樹々や美しい水が教えてくれる。
誰もが美しい自然を愛している。

大きな大きな問題はみんなの共通経験として、私たちは確実に大きく前進しただろう。
話し合い大きな一歩を踏み出す事で、意識は心から深く繋がっていった。
自信を、私は今回の「山水人」で得ることが出来た。
それは人生において本当に大切な経験だった。
毎年遊びに行っていた「山水人」は、
今年のスタッフをきっかけに私の一部となった。
山水人は形がなく、とても有機的だ。実際どうなるかは誰も分からない。
それぞれがやりたいことをやるしかない。まっすぐに前を向いて。
そうすれば打てば響く水の様に、意識は確実に伝わっていることを体感する。
喜びや嬉しさや、様々な素晴らしい出会いが周りに溢れている事に気付くだろう。
私は、生まれてよかったと心から思う。
山水人に、美しい朽木の自然に、周りの友人たちに、
親に、自分自身に、感謝しよう。
写真と文:misato
http://www.ne.jp/asahi/misato/hirono/
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■山水人2009【前半】写真 Slideshowhttp://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157622423914146/show/
■山水人2009【後半】写真 Slideshowhttp://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157622300579593/show/
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